出会い2010/06/01 21:18

"Whole Earth Catalog"(リンク一覧)と"Weeds Guardians of the Soil"(参考書)と「植物と人間」宮脇昭(NHKブックス)との出会いがなければ、"Climax Garden"という発想はなかった。
"Whole Earth Catalog"は新聞の書評欄で見つけたものを銀座のイエナ書店でやっとの思いで手に入た。その書籍案内欄に掲載されていた"Weeds Guardians of the Soil"始めとするする書物を何冊か丸善で注文し、手に入ったのがこの1冊だけだったのである
"weed"も"grass"も草には違いないのですが、"grass"は芝生に代表されるように、人間に有益な、あるいは、不快感を抱かせない「草」を意味し、"weed"はそれとは対照的な意味合いをもっている。「雑草」、生えているだけで邪魔な存在で、目の敵にされるのは洋の東西を問わないようだ。
しかし、"Weeds Guardians of the Soil"では、西欧の雑草=悪という先入観にとらわれていないアメリカ原住民の目から見た「雑草」と人間の関係が描かれていたように思う。
トウモロコシ畑やジャガイモ畑に雑草が生えていても目の敵にしない。むしろ、雑草によっては互いに助け合う関係がある、と主張しているのである。
現在ならば「コンパニオン・プランツ」とか「バンカー・プランツ」という言葉は農業者の間では広く知れているので、何ら目新しさはないが、およそ40年前、有吉佐和子の「複合汚染」、もっと古くはレイチェル・カーソンの「沈黙の春」などで農薬と環境問題が取り上げられ始めた頃には、雑草と作物の共生関係が大きく取り上げられることはなく、まったく新鮮だった。
一方、宮脇昭氏は神域の「鎮守の森」にこそ元々日本にあった植生がそのまま残される、「鎮守の森」に行けばその土地の原植生を見られる、と言う。
有史以来変わらない森は極相=安定群落を形成しているからこそ存在し続けている。シラカシ林を例にとれば、シラカシが頂点にいるのだが、シラカシが枯れてしまっても、シラカシは再生する。一方、シラカシ林の周辺部に生える草や潅木が失われてしまうと、シラカシ林は枯れてしまう、という。
自然界の人間にとって都合のよいものだけ残す、という農業や林業のあり方への警笛とも取れる内容のこれらの書物に触れたことで、農業への関心を深めていたものの40年間、農業とは疎遠になっていた。

やっと花芽がついた2010/06/01 23:32

イタリアからやって来たトマト、ボルゲーゼ(ドライ・トマト用)の花芽。
ボルゲーゼに花芽
本葉7枚になっても花芽が見えず心配でしたが、やっと小さな花芽がつきました。やはり気候風土の異なるイタリア産トマトは日本産トマトとは生育の仕方が多少異なるだろうか。近くの畑で他の種類のイタリア産トマトを栽培していた人によると、開花が少し遅かった、という。