耕作面積について ― 2010/06/03 19:20
660㎡の耕作地面積は家庭菜園としては十分過ぎる広さだろう。自家用の野菜だけを作るのなら150㎡もあれば足りそうだ。近隣にある市営など公営の菜園の広さはせいぜい50㎡のようだ。これで十分な人も多い一方で、借りることすら出来ない人も多いようだ。貸し出す農家が少ないことが背景にあるようだ。
退職してすぐにこれだけの農地を借りることが出来たのは幸運なことらしい。それでも、私にはこの広さは不十分に感じられる。農作物の多くの自給を試みたいからだ。
「遊休農地対策データベース」によれば、私の住んでいる神奈川県だけで遊休農地が1703haあるらしい。10年以上前のデータを使ったものなので、現在の状況を正確に反映したものではない可能性はあるが、大変な広さである。農家の高齢化が進んでいるので、遊休農地の面積がむしろ増えている可能性が高い。
周囲では、家庭菜園をしたくても農地が見つからない、という声をよく聞く。このまま農地としての利用がない状態が続けば、荒廃した農地を回復させるのに大変な労力や費用がかかってしまうだろう。農地は国の大切な財産なのにどうしてだろうか?
日本の食料自給率39%は、経済協力開発機構(OECD)加盟国30カ国のなかで27番目の低さだそうだ。重大な問題である。
もし都市住民が穀類以外の野菜を、この遊休農地を利用して自給するようにしたら、一体自給率はどこまで上がるのだろうか。
ドイツにはクラインガルテン、ロシアにはダーチャがある。ヨーロッパには、この他の国々に同じような制度がある。いずれの国も第2次世界大戦直後、大変な食糧難を経験したためか、食料を自分で確保する、という意識が高いようだ。「ジャガイモの世界史」伊藤章治(中公新書)に詳しくある。
日本の戦後の食糧事情も厳しかったのに、長らく飽食に慣れ、食糧難の苦しさを忘れ去ってしまったようだ。
この本によると、クラインガルテンにしてもダーチャにしても最低500㎡の広さはあるようで、麦等の穀類以外はほとんど自給できているらしい。週末を過ごせる小屋なども備わっているのが普通だ。
日本史の研究家、林家辰三郎氏によれば、日本の歴史において、唯一市民として存在したのは京都の町衆だという。時の権力に頼らず、町衆自らの力によって「祇園祭」が千年以上も維持されてきたのだという。お上の力に頼らない自立した民衆こそが市民である条件、だという。
おそらく、市民としての意識の欠如が自覚されないと、社会に蓄積した多くの問題が解決されないのだろう。水戸黄門のような誰か立派な人物?の登場を、いつまで待ち続けるつもりなのか・・・
最近のコメント