目指すは百姓か・・・2011/02/24 10:44

分業化の真価は人々に幸福をもたらしているのか。百姓を目指すことは、社会の流れとはまったく逆の方向に進むことになりそうだ。面倒なことはなるべく分担し合い、関わる部分をできる限り少なくする。余った時間を有効に使えばより文化的な生活や文明の恩恵を受けられる、というのは虚構ではないか。
生きていく上で、面倒だが不可欠な事柄にこそ醍醐味がある。余暇を有意義に過ごすため、多くの人が趣味・娯楽・スポーツなどに勤しむ。嗜好は人によって異なる。私にとって興味深いものでも、他人にはただ面倒なこと、というのが多い。どんなにすばらしい趣味でも、感じ方は人それぞれなのだ。他人には面倒に見えるものの中にこそ飽きの来ない面白さがあるような気がする。
これから竹材が豊富に手に入りそうだ。これを使って、ハウス、畑の風除け柵などを作ってみたい。畑を始めて、化成肥料や農薬を使わない農法に取り組むために、生物の勉強をせざるを得なくなった。収穫物を無駄なく美味しく頂くために料理の勉強も必要になった。四阿(あずまや)を建て始めると、建築の簡単な知識を得る必要が出てきた。何から何まで手を出し、自分なりに統合を試みる。まるで21世紀の百科全書派のようだ。分業化で細分化=分断された社会への無意識の抵抗かもしれない。世の流れに逆らうことには辛さが付きまとうものだが、これが興味が尽きることなく面白くて仕方ない。趣味に生きているようでいて、生活と密接に繋がっているので後ろめたさもない。